映画「T2 トレインスポッティング」

映画「T2トレインスポッティング」を観た。舞台は前作「トレインスポッティング」から20年後。前作ラストで主人公が「在る」人生を選び笑みをたたえて橋を渡る。本作はその場面の回想から始まる。

4人の登場人物たちは、20年前に生きた人生からの強烈な殴られたような影響力の中で今を生きている。前作ラストで人生を選んだ主人公も、そのとき手に入れたもの(金)の引力によって、故郷に引き戻される。

実家の自室に戻りイギーポップを聴けないのは、20年前に生きた人生が今の人生を蝕んでいることをよくわかっているからだ。やむを得ず彼らはかつての人生をもう一度生き始めることになる。しかしその中で、自分たちが変わり、人々が変わり、時代が変わっていることを理解する。

妻・子供との別れ、ブルガリア美女との出会いにより、次の世代や他者の存在を意識するようになる。もう過去と同じように生きることはできない。その場所にはもう別の人々が居る。

次第に、過去を理解し今の社会の中に位置づけること、つまり過去を物語にすることを意識するようになる。過去を小説化し、別れた嫁・息子に送りつける。それは彼らにとってドラスティックな、希望を得られる発想だった。

クライマックス、彼らは敵を殺さず元の場所に送り返す。つまり、自分たちを「今」の社会の中に位置づけることを選ぶ。

過去をもう一度生き、物語にしたことで、彼らは今の人生を生きることができる。イギーポップを聞くことができる。

 

 

映画「哭声/コクソン」

コクソンという山間の村で、村人が奇病にかかり家族を殺すという事件が連続して発生。山に住む日本人が関係しているという噂が広まる。主人公は警察官で、事件の解決に乗り出すが、やがて自分の娘が奇病にかかり、日本人を殺しに行く。

クライマックス、目撃者と主人公の対話では、祈りのようにただ必死に言葉だけが交わされる。しかし目撃者が「言葉が届かない」と思って主人公の手に触れたとき、対話は終わり、祈りは途絶える。

町山智浩の映画ムダ話の解説によると、監督は、目撃者(白い女の人)をはっきり「神」と説明しているとのこと。町山智浩の映画ムダ話45 ナ・ホンジン監督『コクソン 哭声』。 國村隼の正体は? 白い服の女は...

この解説では、神の力の限定性についていくつかの説明を行っている。上記のクライマックスから、また別の説明を考えてみた。

神が超常的な力を及ぼすことができるのは、超常的な領域(山の日本人、祈祷師)に対してのみで、結局、人間の領域では、神は(神と人間が共に有している力である)「言語」でしか人間に介入ができない。そして言語の力が限定されているという点において、神と人間の力は同じように限定される。その限定性に耐えられず、主人公の手を握ったとき(超常的な領域の力を発揮しようとしたとき)、主人公もまた超常的な領域への(確実なものがないことへの)不信によって己だけを信じる世界へ帰っていく。

ラスト前の神の涙は、人間に介入しきることのできない自らの不能性と、超常的なものを信じながらも信じない、人間の「人間性」の強固さを思って流れたものだと思った。

 

 

小沢健二「犬は吠えるがキャラバンは進む」

犬は吠えるがキャラバンは進む」は1993年に出た小沢健二の1st ソロ・アルバム。日本のポップ・ミュージックの参照点の一つであるとともに、小沢健二のキャリアの中では現象として語られることが最も少ない作品だといえる。

フリッパーズ・ギターは、時代の文化(洋楽・ファッション・ダサい邦楽へのカウンター)の中でぼんやりした価値観にくっきりと線を引いた。「愛し愛されて生きるのさ」以降の作品では、消費社会の景色の中で本質を問う強さを提示していた。「犬は吠えるがキャラバンは進む」は時代を問わず、カウンターとして機能せず、ただ凡庸なまでに音楽だけをたたえている。

そしてこのアルバムで描かれるものは、抽象的な感覚ではなく、また日々の身辺に起こる具体的な感覚でもなく、その間にあるもの。神を意識することができるし、下を見れば日々が周っていることもよく知っている。しかしその視線はどちらにも寄ることがない。

時代性とも場所とも切り離された単なる音楽であるがゆえに、普遍的であり、「今の気分」と関わりなく聴くことができる。

映画「デヴィッド・ボウイ・イズ」

展覧会「デヴィッド・ボウイ・イズ」の映画版「デヴィッド・ボウイ・イズ」を観てきた。

ロンドン ヴィクトリアアンドアルバートのキュレーター二人が展示物を紹介、解説していく。必然的に、展覧会を軸にした半生の振り返りになる。

文化的な功績を評価する見地から、歴史家や芸術家によるスピーチが挿入される。(文化批評家としてパルプジャーヴィスも登場する。)

唯一当時のボウイとの関わりを語った山本寛斎による英語スピーチが破壊的なインパクトを残していた。英語の文法そのものは粉々に砕けていたが、挿入される間、表情、選ばれる言葉の迷いのなさによって聴衆の心と体を掴んでいた。

山本寛斎のスピーチは「ボウイはボウイ、寛斎は寛斎」という言葉で終わる。つまり、簡単にUniteしない、融合しない、他者は他者としてあり、すべてはただ存在している。しかし、同時にそのことこそがすべての存在を担保する。ボウイはそれを本質的に理解していたゆえに、自らの他者性を強烈に開示することで世界に自由をもたらした。

寛斎もまたそれを理解し、ボウイの世界と重なっていくことになる。

有名になりたいという欲は、世界をそのようにとらえて変えていこうとする意思の強烈な現れだったといえる。

www.bunkamura.co.jp

「DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展」

天王洲アイルの寺田倉庫に行ってきた。

エレベーターで5階へ。まず顔面に稲妻ペイント写真のエントランス。天井がむき出しであるために全体的にインダストリアルな暗さに鮮烈な色みが浮かび上がる。

(自分が14年前に借金してロンドンに旅行した際に行ったコンランのデザイン・ミュージアムを思い出した。暗闇の中、秘密事のようにいたずらのようにくっきりと明示される展覧内容。それはそわそわさせて尿意を促す。)

全体として、時系列に従った時代分類は大まかでわかりやすい。一方、各要素の情報量は膨大ですべてを受け取ることは無理だが意識のおもむくままに己の理解したいように理解していくことは楽しい。

デビッド・ボウイデビッド・ボウイになる前のふるまいを見ていると、自身の音楽を自省的な芸術活動に終わらせず多くの人に聞かせたいという欲望を抱えていたことがわかる。トム・ヨークもそうだが、後に文化的な成功を収めるアーティストであっても「世に出たい」というキッズな期待を抱くものらしい。

しかしやがて自分を滅し、スターマンでは「君」を指差すようになる。1979年にはクラウス・ノミをフックアップし、1987年のベルリン壁前でのライブでは東側にスピーカーを向ける。己の目前の風景を流動させていく、変えていく、空間を変容させていく。そのことに対するエネルギーの強さと終わらない執着。それが音楽を演るということの本質なのだと思った。