「DAVID BOWIE is | デヴィッド・ボウイ大回顧展」

天王洲アイルの寺田倉庫に行ってきた。

エレベーターで5階へ。まず顔面に稲妻ペイント写真のエントランス。天井がむき出しであるために全体的にインダストリアルな暗さに鮮烈な色みが浮かび上がる。

(自分が14年前に借金してロンドンに旅行した際に行ったコンランのデザイン・ミュージアムを思い出した。暗闇の中、秘密事のようにいたずらのようにくっきりと明示される展覧内容。それはそわそわさせて尿意を促す。)

全体として、時系列に従った時代分類は大まかでわかりやすい。一方、各要素の情報量は膨大ですべてを受け取ることは無理だが意識のおもむくままに己の理解したいように理解していくことは楽しい。

デビッド・ボウイデビッド・ボウイになる前のふるまいを見ていると、自身の音楽を自省的な芸術活動に終わらせず多くの人に聞かせたいという欲望を抱えていたことがわかる。トム・ヨークもそうだが、後に文化的な成功を収めるアーティストであっても「世に出たい」というキッズな期待を抱くものらしい。

しかしやがて自分を滅し、スターマンでは「君」を指差すようになる。1979年にはクラウス・ノミをフックアップし、1987年のベルリン壁前でのライブでは東側にスピーカーを向ける。己の目前の風景を流動させていく、変えていく、空間を変容させていく。そのことに対するエネルギーの強さと終わらない執着。それが音楽を演るということの本質なのだと思った。