映画「デヴィッド・ボウイ・イズ」

展覧会「デヴィッド・ボウイ・イズ」の映画版「デヴィッド・ボウイ・イズ」を観てきた。

ロンドン ヴィクトリアアンドアルバートのキュレーター二人が展示物を紹介、解説していく。必然的に、展覧会を軸にした半生の振り返りになる。

文化的な功績を評価する見地から、歴史家や芸術家によるスピーチが挿入される。(文化批評家としてパルプジャーヴィスも登場する。)

唯一当時のボウイとの関わりを語った山本寛斎による英語スピーチが破壊的なインパクトを残していた。英語の文法そのものは粉々に砕けていたが、挿入される間、表情、選ばれる言葉の迷いのなさによって聴衆の心と体を掴んでいた。

山本寛斎のスピーチは「ボウイはボウイ、寛斎は寛斎」という言葉で終わる。つまり、簡単にUniteしない、融合しない、他者は他者としてあり、すべてはただ存在している。しかし、同時にそのことこそがすべての存在を担保する。ボウイはそれを本質的に理解していたゆえに、自らの他者性を強烈に開示することで世界に自由をもたらした。

寛斎もまたそれを理解し、ボウイの世界と重なっていくことになる。

有名になりたいという欲は、世界をそのようにとらえて変えていこうとする意思の強烈な現れだったといえる。

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